今朝の目覚めは、09:03。昨日の疲れが...。いや、それもあるかもしれないが、単に目覚しを設定しなかったらのが原因。というか、目覚しは、毎日の設定になっているので、昨日、なぜか、解除してしまったというのが真実。
逆に、自然覚醒で、この時間というは、むしろ、日本での自分の事を考えれば、早いほうではないだろうか。
野菜や、果物が山のように盛られており、秤売りされている。単位は、1 kgの値段。一人じゃそんなに食べられないよ。「(秤にかけるために、商品を入れる)袋はいかがですか」と売子の人が声をかけてくれる。
買物一杯の買物かごが、狭い通路を曲りそこねて、ベニヤで作られた仕切りにぶつかると、オレンジの山の天辺から、一個のオレンジが、ころがりおち、通路を走り始める。それを目撃したのは、僕だけなのか、誰も、それを気にしない。
オレンジは、そのまま人混みの足元に潜りこみ、そのまま見えなくなってしまう。
元のオレンジの山には、はじめから、そこいたかのように一つのオレンジが天辺に...
山盛りでなく、今度は鈴生りなのが、他の商品、T-シャツが、壁一面に飾られているのは定番としても、お土産物の人形や、玩具もおんなじ感じ。子供の意見を聞くために(1)、いくつか写真を取る(2)。
僕は、図書館や本屋にいって、棚一杯に並んでいる本みると、何時も少し幸せな気分になれる。「ああ、まだ、僕は、これだけの本が読める(3)のだ」と。しかし、どうやら、僕は、こうゆう、山盛りの商品をみても同様な気分になれるようだ。
不思議な事に日本のスーパーでは、そんな気持になれない。何が違うのだろうか。
歩行者用の信号機の事:こちらでの交差点の多くには、歩行者用の信号機(5)と歩行者がおすボタン(6)がついている。
ボタンを押すと、「ぷっぷっぷっ」と、ボタンが押されているということを提示し、歩行者信号が青になると「ぴょっぷぷぷぷぷ」と音が代わり、教えてくれる。
通常、このボタンを押さない限り、歩行者信号は赤のまま(7)だ。
街でみかけると、もちろん、このボタンを押す人も多いのだが、ボタンを押さなかったり、平気で、信号を無視して渡る住民も多い(8)。
昨日までは、まあ、そんなものだと思ったのだが、今朝、双子用(?)のベビーカーに兄妹の二人(4才, 2才位か?)をのせた母親(9)と並行して歩いて(10)いながら、交差点を、車椅子の老人が横切るのみて、ハタ(11)と、この信号機は、優先者のためのものであることに気が付いた。
音で、報せてくれるのも目の不自由な人のために違いない。
ちなみに、こちらのドライバーは、歩行者優先が徹底しているような気がする。信号のないところで、車の通りを途絶えるのを待っていると、多くの場合、向こうがこちらに気が付いて車を止めてくれる。
なんだか、申し分けない気がして、渡りたい時であっても、つい、明後日の方向を向いて、あまり待っているようには見えないようにしてしまう。
いや、流石に、すぐに考え直したんだよね、馬鹿な事をしたってさ。わざわざ、こんな真夜中に真っ暗な公園の中を歩いてみようだなんてね。だから、大通りに戻ろうと引き換えしたわけさ。
でもその時だよ..。それに出会ったのは..。
黒い陰が足元を横切り、なんと、幹を伝わってするすると木の上に登ったんだ。大きめの猫かな、でも、どちらかというと鼬に近い体形だったような気がする。
それで、慌てシャッターを何度も押したってわけさ。何が写っているかは神のみぞ知る...
一時期、僕は、図書館の司書や、本屋(とにかく、本の囲まれていて、いつでも本が読める...)職業につきたいと思っていた。
最近は、読書量が減って(奥さんは、全然賛成してくれないだろうが..)しまって、残念だが、おそらくそれは、インターネットという新しい図書館を手にいれたせいなんだろう。
このように個数を明示的に覚えておくと、その内容が思い出し易いのは、よく知られている事実だ。もちろん、記憶のマジックナンバー内なんだろうけど。
恐らく、そうしないと思い出せない理由は、「記憶されていない」からではなく「記憶されている事自身を記憶していない」からという事だ。要するに「メタ記憶」問題ということだ。
ただ、不思議な事は、なぜ、この「三つ」を覚えてられるかということだが...
しかし、彼女等にしてみれば、日常的な行為なのだろうが、それが、通り掛りの人間によって、このような形で、それがWebに公開されるとしたら、どう思うのだろうか?
もちろん、別に悪い意味でもないし、当然、彼女等以外には、この話題が、自分達の事であるとはほとんど解らないとは思うのだが。
こうゆう時は、インターネットの情報管理の安易さが気になってしまう(それならば、そもそも、公開を止めれば良いという話でもあるのだが... )