今朝の目覚めは、09:54。大幅な寝坊と言いたいところだが、ちょっと、違う。
実は今朝は、一旦、なんと5:56に目が覚めた。どうもテレビの音がうるさく(1)て目が覚めたらしい。
流石に、これは二度寝だろうと思い、まあ、TVの電源を切り(2)、眠りに入る。
幸い、眠りに入る事ができ、目覚し(結局08:20のまま.. )で、また、目がさめる。
しかし、まあ、昨日は、ちょっと一段落したの(3)で、今朝くらい、朝寝でよかろうと考えなおし、スヌーズもかけずに、また寢た(4)のだ。
だから、本当は、この記録も「今朝は、午後から起きることなった。久し振りに朝寝をし、爽快」というような文句で始まるはずだったのだが.... ?
冷蔵庫の導入によって、僕の食生活の文明は、一挙にすすんだのだが、確かに、食料の貯蔵の問題は大きいと思う。
僕は前々から、なぜ、単位面積あたりの収穫量が何倍も異なる(5)という米と小麦(6)が主食として混在しているのかが良く理解できなかった(7)。
しかし、皮の硬いパン(8)を食べならが、もしかしたら、これは食料の貯蔵と関係があるのではないかと思い付く。
もちろん、小麦も米も、元々種子なので、そのままでの長期貯蔵が可能だ。高緯度の、冬という作物の取れない時期がある以上、主食の長期貯蔵は必要条件といえる。
しかし、「長期貯蔵の可能性」は同時に、「食べ難さ」に相関する(9)。
したがって、「食べられるようにするための工夫(10)」が必要になる。
米も、種子から脱穀後に、「炊く」という技術を利用して、人間に消化可能な「御飯」変えて食べている。
しかし、この「御飯」が、貯蔵には全く向いていないのだ。直に冷えて硬くなり、そうなると消化に適さない形になるし、また、腐るのも早い。
したがって、「毎朝の煮炊き」が日課になるわけだ。
ところが、「パン」はどうだろうか?「パン」は、そのままで食べられ、かつ、短期間であれば貯蔵が可能という構造を持っている。
特に、「パンの皮」は、「パンの中のより、食用に適している柔らかい部分を保護する」という役割まで担っているようだ。
パンは硬くなっても、水を与える事により、柔くなる(11)という性質ももっている(12)。
だから、「パンを買ってきて、それを自宅で暫く貯蔵(13)しながら消費するという効率良い運用ができる」と言えるのではないだろうか?
そして、そのパンの発明こそ、小麦が、米と競って、主食の座を保っている一つの理由なのではないかと思った(14)わけだ..
今朝は、写真を取らなかった。もちろん、既に撮ったからという意味もあるが、もう一つ理由がある。それは、写真をカメラから、PCに移すと、写真の名前がリセットされてしまうという事だ。
つまり、朝、写真を撮って、PCに移動し、夜にまた撮ると、同じ日の同じ番号のファイルが二つできてしまうということだ。
まあ、ようするにrenameすれば済む(16)話でしかない(17)。
しかし、そんなちょっとした理由が、どうゆうわけだか、心理的な枷になっているような気がする。
それは、今回の事に無関係によくある事のような気がする。
「小石を取り除く」という作業は思ったより、大きな意味を持つのかもしれない。
気になって調べたら、単位面積当りの収穫量はそれほど違わないらしい。
ただ、小麦は連作が難しい事と、一粒の種から収穫できる次世代の種の比率がわるいらしく、まあ、農作物としては米の方がよいというのは間違っていないらしい。
小麦が主食なのは、他の作物に比べて、単位面積当りの収穫高が高いからだ。人口が増えるに連れて、他の作物は相対的に非効率になり、農耕の対象として淘汰されたわけだ。
ちなみに、「なぜ、人は人の肉を食べないか」という理由や、宗教上での肉食への戒律の成立理由も、これと同様なメカニズムだということは、興味深い。
しかし、米は、小麦に比較しても、さらに、収穫率が高く、これは、米を主食としてる、アジア圏の人口密度が高い事と関係している。
通常は、稲が高温高湿の季候を好み、比較的緯度の高いヨーロッパでは、米の育成が困難だったと説明されるのだろうが、日本は、例外的に、米の品種改良によって、この問題をクリアしていることを考えると、世界で、未だに小麦の方が主流というのは解せない。
ようするに人間以外の細菌なども、食べにくいから、(食べられず)貯蔵できるという事だ。
インターネットが利用者に便利なので、自動的に、犯罪者にとっても便利だから、危険になっているのと同じ構造。