確かに、「名前を聴いたという状況」は過去にも何度か経験している可能性があり、そうだとすると、これは「既知の情報」の入手となる。
その一方、「名前そのものは初めて聞く」わけだから、「未知の情報」となる。
すなわち、「既知の情報の記銘は容易だが、未知の情報の記銘は困難」というごく当りまえの結論になる。
ここで重要な事は、「名前聴いた覚えがある」という「記憶」が、「名前を思いだすためのメタ記憶」として働く可能性があることだ。
記憶は引出せなければ意味がない(2)。
引出すためには、少くても、「その記憶があるというメタ記憶」(3)が必要となる。
良くある目撃談が「何時ものように何々をしていた時の事です..」で始まるのは、この記憶しやすいタグを利用して、それから、時系列で、記憶を追体験するかたちで引出しているという事を意味する。
これを教育の場で応用するとすれば、どのような手段になるだろうか。
前半の「全く新しい情報は記憶しにくい」に関しては、やはりごく当然な「予習、復習の重要性」となるということは、一応、おさえておくとして、ポイントは次の点だ。
「新しい事を説明する前に、必ず、知っているはずの事を説明し、それを記憶タグとして利用できるように提供する」
理想は、その「タグ」が、「新しい情報の方向性」までも含むことだ。
例えば、「栗野の栗は、イガイガのついたたべる栗の事で、野は野原の野です」は電話口で、漢字を報せるための仕組だが、自己紹介の時に利用してもよい。「栗野」という名前そのものは新しい情報であっても、「栗」や「野」は、既知の情報だからだ。
したがって、「新しい知識を導入するのに、それと関係した、既知の情報を提示する」という工夫をすることになるわけだ。
問題は、「学生が何を知っているか」という点なのだが、これが難しい....
ゼミが終って一休み。コーヒーブレークの時間。
最初は、韓国と日本の食べ物の違いから始まって、豚って家畜は、肉食以外にどんな事に役立つの(例えばトリフを探すのに使われるね..)という話題の内は、よかったのだけど、そこから、宗教的なタブーの話になり、いきなり、宗教の話題(神がいるかどうか?神を信じているかどうか?偶像破壊の是非は? etc... )になり、目まぐるしい意見の交換が...
いや、こうゆうセンシティブな話題が交換できるってことは、オープンで良いとは思うのだが、うーむ。