僕は、以前から、「人間の記憶に関しては、チョークポイントがあり、その容量を越る情報は処理できない(2)」という事を前提に様々な物事を理解(3)してきた。
すると、「何かをする」のに、「それと一緒に計算機の操作」も「同時に行う」とするならば、上記の理屈上、「その作業がより困難になる」のは当然の結果でしかない。
では、なぜ計算機を使うと「仕事が速くなる可能性」がでてくるのだろうか?つまり、「自分の場合、何が」という疑問だ。
うーん、脇道に入り過ぎて、本論が進まないが、そろそろ時間なので、出る事にする。続きは、また。
何時もと同じ道をあるいて大学へ、ふと、路地の向こうをみると、人集りが。
こんな時こそ、自由人の本領発揮という事で見にゆくと..なんと、どうやら、今日は選挙の日だったらしい。みんな並んで、投票を行っているようにみえる。
投票会場の入口に並ぶ列の回りには、最後の選挙活動というのか、各々の候補の陣営の人が、チラシ(4)を配布中(5)で、僕も貰った。
そういえば、テレビでもなんかやっていた(チラシの写真と同じ人が映っていた)し、街頭にも、それらしき、ポスターがあったっけ..
少くても、こちらでは、例の宣伝カーが走りまわらない点で、好感が持てる。
実は一昨日、通りの花を撮影している途中に、また、蜥蜴(6)をみつけたのだが、写真をとりそこねていた。
ところが、今日、同じ場所に行くと、なんと、また、蜥蜴が、それも二匹(7)残念ながら、結局、片方の、それも小くしか写真が撮れなかったが。まあ、撮れただけでも朗報と言えよう。
本日は、土曜日なので、例によって、バザーが開かれていた。もちろん、寄り道する事にする。相変わらず、目新しいものが沢山あるが、流石に二度目だと興奮の度合もそこそこ。
というか、そろそろ、お土産の事を考えねばならないと思うと、また、なんだか..(8)。
一通りまわって、公園へ。
クレジットカードを使うようになってから、久し振りに現金を使用。
まあ、現金がなくなる心配は余りなくなったが、逆に余ってしまう可能性がでてきた。それはそれでちょっと不味いが、まあ、最後にお土産で使えればよいか..。
これは、一つの「情報の圧縮技術」である事に注意しよう。
膨大な「ユークリッド幾何」の定理は、全て覚える必要はない、「ユークリッド幾何の公理(や公準と定義)」と「推論規則」さえ覚えれば後は、原理的には、すべて、それから導出(証明)できるのだから。
(ここで、勘違いして欲しくないのは、だから「しなくてもよい」という意味ではない、なぜなら、「記憶を引出す」かわりに「証明をする」コストの考えると後者の方が団違いに時間がかかるからだ。つまり、「計算すればでる事を記憶するのは、高速化となっている」ので、理学(証明できるのだから不要)的な観点ではなく工学(二つの手段の内、特定の観点(この場合は速度)で良い点があれば、そちらも採用する)的な観点で、意味がある。僕は、「九九」は偉大な発明だと信じている)
つまり、仮説(公理に当る)が正しいかどうは別として、それを論拠に説明(証明)される結果(定理)は、覚える必要がなく、仮説だけを記憶して置けば、結果的に結果も記憶できるということだ。
数学との違いは、数学ならば、「それは公理としてみとめよう」とすれば他の(数学?)者に認められるが、仮説の場合は、そうは行かず、また、現実問題とし否定さてしまう事もあり、その場合に、「正しい出来事を記憶するために、誤った仮説を用いる」結果になるため、混乱が生じる可能性がある。
これは他の記憶術でも同様な構造をもっていて、「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」と覚えるのはよいが、実は「鎌倉幕府が良くなかった」としたら、この語呂合せは、記憶上では矛盾を導く構造をもっている事が分る(ましてや、この後では1185年に変ってしまっていたという落ちは別の話)。
列車に乗ると、車掌さんがやってきて、集金を行う。路線図をみると、Paddy's MarketからGlebeは、一本で、料金表は、1 area $3.60とかいてあったので、その額を予め握りこんでおき、それを渡そうとみせると、何処に行くのかときかれる。料金均一だと思っていたので、不信に思いながらGlebeと答えると、$4.40といわれる。つまり、2 area (確かに、Paddy's Marketは、二つのareaの重なっている地区に位置する..)なわけだ、いきなりパニックになり、財布の小銭いれを探るが、どれがどれだかよくわからない。とにかく関係ありそうコイン出して、全て渡すが、どうも足りないらしく、車掌さんが首を横に振る。さらに、焦って、財布を探っていると、こんどは車掌さんがとつぜん、これまで出したコインをそのままうけとり、Ok, Okといいながら行ってしまった。
だから、本当は、$3.60と$4.40の間なのだが、幾らのコインが残っていたのかわからないので確認のしようがない。
なんか、昔々、アメリカでもにたような経験をした事を思い出す。